加藤桝治さんから寄せられた「戦争の被害と加害」をご紹介します。
戦争の被害と加害
加藤 桝治
最近、二つのことから、戦争の被害と、加害について考え、戦争反対の思いを一層強めました。
二月二十日、医療生協かながわの地域支部恒例の「早春バスツアー」に参加し、「東京大空襲・戦災資料センター」に行って来ました。
一九四五年三月十日の未明、約三百機の米軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、罹災者百万人を超え、推定十万人もの命が失われました。
空襲・戦災の文献や物品が収集されその保管・展示の場をという都民の熱い思いから募金が集められ、戦火の最も大きかった江東区に「戦災資料センター」が、いまから十一年ほど前に完成しました。
「資料センター」は三階建で、当時の着衣や生活物資、戦災資料などが整理して展示され、戦争を知らない人々の追体験の場となっています。
当時八歳だった女性の方が、自分の体験を話してくれました。「親と一緒に逃げたが、途中で別れ離れになって火の海をさ迷い歩き、大勢の人に倒され下敷きなってしまった、そのために上の方の人が焼け死んだが助かった」「背中の子供が燃えているのを知らずに逃げていく人」「川は焼死体で一杯になっていた」と云う話でした。
話のあと、NHK制作の「東京大空襲」のビデオを見ました。アメリカの資料など使い、空襲のすさまじさなど、戦争の実態がよくわかるように編集されていました。当時のアメリカの空軍司令官ルメイがインタビューを求められたが応じないで、「俺は日本から勲章をもらっているんだ」と胸を張っていたのが印象的でした。
私の友人の新津淳さんが『歴史と戦争文学』(光陽出版社)を上梓しました。堀田善衛『時間』と大岡昇平『レイテ戦記』の評論とエッセイなどをまとめたものですが、その中で、南京の大虐殺、フィリピンへの侵略と大虐殺など日本の侵略・加害が述べられています。
フィリピンへの侵略行為がどのようなものだったか改めて知ることができました。侵略に当たって日本軍のとった作戦は、中国戦線と同じように、「糧食は補給しない、現地で確保せよ」というもので、「奪え」と云うのが基本方針だったのです。こうして日本軍の残虐行為はいたるところでおこなわれました。家屋や、学校、教会などに民衆を閉じ込め、ダイナマイトで爆殺するとか、放火、機銃掃射で、婦人、子どもも容赦せず殺害したというのです。
また、「バターン死の行進」と云われる暴虐行為は、降伏した米比軍の捕虜たちを、乾季の炎天下、徒歩で北へ行進させ、疾病と疲労で次々に倒れ、脱走するものは殺され、約三万人が死亡したと云われます。
戦争を被害者の立場に立つと共に、加害者の立場に立つとき、憲法九条の尊さを感じずにはいられません。
(二〇一三年二月)