17日(日)午後、「平塚空襲から80年 『聞く』こと、そして語り続けるために」が開催され、平塚空襲を体験された江藤巌さんのお話を聞きました。(平塚市博物館講堂にて)
92歳になられる江藤さんは、12歳の夏(7月16日)の夜中に防空壕に入る寸前に目の前で爆弾が破裂し、足に大やけどを負い、さらに油状の爆弾が体のあちこちに飛び散って大変なやけどを負ったといいます。逃げる最中に両足が見る見る水ぶくれになり、走ると両足の水ぶくれがぶつかって、痛くて痛くて父たちの後を走ったが50mくらい遅れたと語りました。
12歳の少年は、どんなに痛かったことか!どんなに辛かったことか!妹や弟が犠牲になる中、必死で走ったことでしょう。
その後18日から23日までの記憶はなく、その間に3回ほど生死をさまよったといいます。平塚空襲で犠牲になった弟、妹のためにも自分はこんな悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけないと語り続けることを決心し、30年間続けてきたといいます。
私も丁度中学生の時、母に「やかんの湯が沸いたのでポットに入れてきて」と言われ、ポットに入れ始めるやいなや、やかんのツルが外れて、やかんの湯が私の左足に全部かかってしまったのです。私は熱くて痛くて転げまわり、急いでズボンを脱ぐと足の皮はズルッと下に垂れ落ちていました。
母は「頼むんじゃなかった、頼むんじゃなかった!」と泣くように叫んでいたのを思い出します。
それが徐々にヒリヒリと痛痒い中、垂れ下がった皮膚にどんどん水が溜まって全体にパンパンに膨らんでゆくのです。やけどの傷は立つと体重が足に行くため、ものすごい痛みが走り、しばらくの期間歩くこともできず、その後何年も朝礼で立つと左足は紫色になったものです。
12歳の江藤さんは両足と体にやけどを負い、その痛みの中、平塚から厚木の親戚まで歩いて逃げた苦しみを想像し、いたたまれない思いになりました。
周りの方々と語り合う時間が設けられ、その話をすると丁度江藤さんの息子さんご夫婦がご一緒のグループにおられ、その傷跡は随分後々まで足にも顔にも残っていたと補足してくださいました。
本当に辛い思いをされた江藤さん、「二度と戦争はしてはならない」と語り継いでくださっていることに感謝しかありません。

上の「マザーアース」は平塚市民の平和を願う「平和のモニュメント」。丸い地球のような上には幸せな家族の像がシンボルとなっています。
