松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

戦時中、平和教育を 実践した小学校教師

2013年9月6日

加藤桝治 さんから9月のエッセーが届きました。 ご紹介いたします。     

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(写真は加藤桝治さん=平塚市公所在住)               

加藤 桝治

 戦前・戦時中の平塚の反戦・平和の運動を調べていたら、弾圧に屈せず、平和教育をおこなっていた教師のことを知り感銘を受けました。

 教師の名前は脇田英彦さん。脇田さんは一九一〇年(明治四十三年)十月生まれで、一九一八年(大正七年)国鉄勤務のお父さんが平塚駅長となったため一家は平塚に移り、平塚尋常高等小学校の第三学年に転入・卒業後、麻布中学を経て、神奈川県教員養成講習会を受け、恩師の世話で母校の平塚崇善小学校の教師となり、その後、平塚第三小学校(現松原小学校)に転勤一年生を受け持ちました。  

彼が残した手記から算術の授業を紹介します。

 脇田教師は、まず黒板に一隻の軍艦を描きます。子どもたちは喜びます。教師はまた一隻・また一隻と描いていくと児童たちは計算を始めます、軍艦を十隻にして航空母艦を一隻描きます。反対側にアメリカのマークをつけた飛行機を描きます。「やッ、アメリカの飛行機だ、爆弾落とすぞ」爆弾が落とされ、次々と爆沈されます。子どもたちは夢中になって黒板の軍艦を数えます。航空母艦から飛行機を飛ばすことになり空中戦がはじまります。脇田教師は、爆弾を投下され、何千人の乗組員が海に沈められ消えていく様子。飛行士もろとも海中に墜落する有様、敵も味方も死んでいく様子を表現します。そして、最後に日本が勝ったというのですが、ホッとしただけで前のように喜びません。

教師「さぁ、勝ったぞ、日本はどうする」   児童「アメリカから沢山お金をとります」  

教師「なぜ?」 児童「日本の海軍をたくさん殺したから」 

教師「そうか。じゃアメリカ人は一人も死ななかったのかね」 子どもたちは完全に混乱します。 

教師「戦争に負け、その上たくさんのお金とられたアメリカの人たちはどんな気持ちだろう」  児童「悔しいと思う」 

教師「そうだろうな!戦争で日本の弾丸に当たって死んだアメリカ水兵の子供たちはどうだろう」   児童「可哀そうだ」「悔しがって大きくなったら日本をやっつけようと思う」 

教師「そうしたらまた戦争だね…どうだね、戦争した方がいいか、しない方がいいか?」 子供たちは一人残らず「しない方がいい」と答えます。

教師「先生もしない方がいいと思う。ではどうしたらいいのかね?」   児童「仲良くすればいいのだ」「軍艦なんか作らぬようにする」 

教師「みんなの考えはいい考えだが…、戦争については、みんながこれから先生と一緒に勉強しているうちにわかってくる」。…それでこの授業の記録は終わっています。

「戦争で死ね」と、教えられていた私にとって「戦争はしない方がいい」などと教える先生がいたことは驚きです。脇田先生は一九三一年に検挙解雇され、その後組合活動をつづけ、三十二年に再検挙・起訴され懲役六年、満期後肺結核で一九四二年(昭和十七年)に死去、三十一歳でした。

★引用・参考文献…『不屈の青春』新日本出版社刊。 (二〇一三年八月)

脇田教師は、一九三一年十月日本教育労働者組合弾圧で検挙、職場を追われ、組合の活動をつづけ三十三年に検挙起訴され、懲役六年、獄中で、教科書批判と教育実践の手記を書いています。満期出獄後肺結核で一九四二年死去、三一歳でした。


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