10月末に、久しぶりに加藤さんからメールが届きました。加藤さんだからこそ書ける貴重な手記を、その都度皆さんにお伝えしています。今回も、是非ご一読ください。
(JA湘南の「でてこいまつり」で購入。可愛い表情ですね。)
再び「日本初空襲の後」について
加藤桝治
『でこぼこ通信』8月号に、「日本初空襲とその後」と題して、日本軍が1942年4月18日の空襲の報復として多くの中国軍・住民を殺したとする中国とアメリカの情報を載せました。
その後、この事件に関する記録や文献を読み、その報復の大規模であり非人道的である「三光作戦」(殺しつくし、奪い尽くし、焼き尽くす)だったことを知りました。
大本営(戦時に置かれた、天皇に直属する国の統率機関)は、4月18日の東京大空襲をおこなった米軍機が中国大陸に不時着したことを重視し、日本軍が占領していない、麗水、玉山、広州など浙江省と江西省(贛)の航空基地を攻略する大規模な作戦を指示しました。称して「浙贛(セッカン)作戦」浙江省の「浙」と「贛」は江西省の別称です。それから3ヶ月にわたって作戦を開始し8月末に作戦を終了しました。
参加した兵力は、7個師団12万人でした。糧秣は現地調達で、略奪・壊滅・殺戮を徹底して行っています。
『15年戦争史・②日中戦争』(藤原明、今井清一編集)の「中国戦線の中の日本軍」によれば「三光作戦」の項で、防衛庁防衛研究所戦史室編(㊟A)から次のことを知りました。
衢州(くしゅう)飛行場を中心とする半径4キロ周辺。玉山飛行場を中心とする半径5キロ内。麗水飛行場を中心とする半径1.5キロ内周辺の民家、樹木、竹、橋梁などのすべてを破壊し、同時に食糧はすべて強奪したといいます。麗水飛行場周辺を攻撃した第11軍の戦果表によれば、農家から米3213トン(2万1453石・編者)、籾7415トン、穀類260トン、塩430トンが記載されています。
その他、鉄道線路9キロ分、螢石、モリブテン鉱石などが含まれています。
また、一兵士の話では、引き上げる際、師団命令で。「敵が利用する一切のモノを燼滅せよ」とあった。「一切のモノとは、者を含む」皆殺しだということで、考えた末、「部落の風上から火をつけ、火に追われて風下へ、年寄りも、子供も出て来た、そこを軽機関銃で待ち構えて、ダダダと撃つ、ビックリして部落の中へ戻り、火に焼かれて死んでいった」。と云います。
さきの(㊟A)によれば中国軍の遺棄死体4万188人とありますが、民間人の死者数は書かれていません。日本軍の戦死者1620人とのことです。
恐ろしいことにこの作戦に細菌が使われたことです。これは裁判で日本弁護士連合会が明らかにしたものですが、浙贛作戦で、玉山、金華、浦江の諸都市でペスト菌、コレラ菌。パラチフス菌などを散布した。また、パラチフス菌で汚染したまんじゅうを3000人の捕虜に食べさせた後、伝播を広げるために釈放したといいいます。
この作戦の発端になった日本初空襲の被害は、死者約60人、重軽傷者約400人、全壊・全焼家屋約150戸です。 (2014年11月号)