制度というのは、想定出来る範囲内での運用であることをつくづく感じています。そして、何と融通がきかないものであるかを・・・。
先日、出所してきた人から相談がありました。訳があって出所までに働いたわずかな賃金を仕送りしていたために、出所時には1万円しか手元に残っていなかったといいます。
出所してすぐ、知人宅を目指して訪ねたが、身を寄せることはできなかった。あとは生まれ故郷の親元に行くしかない・・。しかし、そこへゆく旅費が足りないのです。平塚に住むわけではないため、生活保護は受けられません。
社会福祉協議会での貸し付けも、保証人がいなければ貸しません。行路病人(住所がない人の移動旅費を支援する、身元不明の行き倒れの人の葬儀など)の援護も、旅費は300円のみ。それ以上出せる制度ではないというのです。
要件は、「出所して目的地に行ったが、そこには住めなかった。自分の生まれ故郷に帰りたいが、出所したばかりでお金がなく、旅費が足りない。少し援助してくれないか。実家に帰ったらすぐ返すから。」というだけのこと。
この人は、この場をしのげればあとは自分の生活を始めることができる人です。実家に帰り、そこに住めなくてもその住所を基盤に生活保護も受けられ、働き口も探せるのです。
しかし、そのわずかな隙間(ほんの数千円)を埋める制度が県にも市にもないのです。こんな些細なことですら救う手段がないといって、役所から追い出す冷たい社会に再び帰ってきて、この人に再び過ちを犯すなと言えるでしょうか。その過ちは「やむを得ないものだった」と言ってもらえるでしょうか。
平塚市役所の「かけがいのない命を大切に」という横断幕を見るたびに、口先だけの行政であってはいけないと痛感しています。
「刑務所体験作家 本間龍の日記」というブログの2009年7月25日の書き込み「出所者が再犯を犯さざるを得ないメカニズムとは」をご覧になってみてください。
出所者が再犯を犯さざるを得ないメカニズムとは – 刑務所体験作家 本間 龍の日記
http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20090725/1248534401