本年もよろしくお願いいたします。
昨年1年は、日本の進路がはっきりと右に急カーブをとった年となりました。日本の報道からの情報だけでなく、世界から日本を見た時どう見えるか。大きな中での日本の動きを知ることが重要になってきていると思います。世界が進んでいる流れと日本が進もうとしている道の違いについて・・。
今年がよい年となりますように、ご一緒に頑張りましょう。
暮れは年末の配達・集金、日頃一緒に活動してきた仲間や青年達との忘年会、挨拶回り、「大掃除」とまでいえなくても日頃出来ない所の掃除、岡崎や豊田本郷の沿道の花壇にもお正月を迎える準備、おせちの買い出しと調理、大晦日から元旦にかけての「日枝神社」でのご挨拶チラシの作成・・・。
そんなこんなで、元旦の2時頃日枝神社から帰って来てようやく、暮れの仕事が一段落した気分に浸りました。
暮れは学校や幼稚園など日頃伺えなかった所に伺った後、地域の花壇の花植えに。これは岡崎の花壇。パンジーとノースボールを植えました。春にはスイセンや地域の方が植えてくださったチューリップも咲いてきれいに彩ることでしょう。
27日まで連日夜も所用で出かけていましたが、28日からはさすがに夜はなくなり、家のことが少し出来ました。
30日はおせちの準備。 31日は除夜の鐘とともに日枝神社で配布するチラシづくり。ところが、これに時間がかかり、息子家族が年越しに来るというのに、お正月を迎えられるのかと必死の状況に・・。原稿が出来上がったのが夕方6時過ぎ。それから2台の印刷機をフル回転させて裏表500枚印刷しながらの年越しとなりました。
我が家は、31日には年越しそばとともに、おせちも食べます。(私の実家、新潟では31日のお昼に年越しをする習慣があります)それでは元旦は・・と思われるでしょう。元旦には、もう一度お重の品を詰め替えて、お雑煮やお刺身などで祝います。息子に「こんなに忙しいのに、やっぱり作るんだ・・。」と言われましたが、そうなんです。お正月の料理は、1年の始まり、そして日本の大切な「おもてなし料理」ですから。嫁さんにも手伝ってもらい、ようやく食卓の準備が整いました。
暮れに「和食」が世界無形文化遺産に登録されたことは、「よくぞ評価して下さいました!」と心から喜びたい1人です。
今年は大した料理はできませんでしたが、和食:とりわけ「おせち」は出来る限り、手づくりで祝いたいものです。
家族みんなで顔を合わせ、孫の動き1つ1つに笑いながらひと時を過ごしました。そして紅白歌合戦が終わると、「さあ!」と印刷したばかりのチラシを持って新年のご挨拶に。
今年は風もなく、とてもおだやかな元旦のご挨拶となりました。「毎年ごくろうさまです」と声をかけていただき、今年も頑張らねばと心新たに致しました。
今年も中原の日枝神社には多くの方が参拝にみえ、1時過ぎに私達も並びましたが、その後も長い列が出来ていました。