松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

加藤桝治さんからのエッセイ

2014年8月30日

これまで何度か市内にお住いの加藤桝治さんから寄せられたエッセイをご紹介しています。今月は、福島県浪江町について書かれています。私たちも昨年議員団で訪ねたので、とても心痛みました。(文の間に使用した写真は、昨年私が現地で撮ったものです。きっと昨年のままだと思いながら読ませていただきました。)

福島県浪江町を訪ねて

加藤 桝治

 7月26日から28日まで、福島県郡山市で開催された、日本国民救援会の大会に夫婦で参加しました。

 安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認を閣議決定など、戦争をする国に大転換し、国民の目、耳、口をふさぎ、戦争への道づくりを強行するなかでの大会でした。戦争のたくらみに反対し、人権と民主主義を守る国民的な運動を広めていくことを確認し合いました。

大会最終日の28日は午前中で終わったので、午後は、救援会・福島支部が計画した、「原発被災地の浪江町を訪ねる」ツアーに参加しました。45人程が大型バスで回りました。案内人は町議会議員の馬場いさおさんと福島革新懇事務局の方でした。

浪江町は、震災時人口2万1434人、世帯数7671世帯。震災時の死亡者182人、震災関連死329人、流失家屋586戸、原発被災で現在、全町が避難区域で、町内に居住している人はいません。県内避難者は7割、3割の人が県外に避難しています。昨年8月の調査によれば、戻りたい18.8%、戻らない37.5%、他は、判断がつかないです。復興の見通しが見えないことへの住民意思の反映でしょう。

バスは一路浪江町に。町の入口に、ゲートでストップ、参加者名は事前に許可をもらっていることで通過することが出来ました。危険地域に入る注意と、どの家も空家なので、盗難防止上、厳重にしているという面もあるのでしょう。

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説明役の議員さんの家の前を通りました。牛舎や物置は猪や鼠で荒れ放題とのことです。この辺は、良好な米作地だったそうですが、柳や雑草で覆われていました。跨線橋の上でバスを止めてくれました。雑草が一定の幅で遠くまで伸びていました。よく見ると、架線があるのでこの下が常磐線の線路だとわかりました。

駅前と町の中心部に入りました。駅前の自転車置き場には自転車がそのままで、バスが2台そのままで置き去りにされていました。新聞店の土間に2011年3月12日の新聞が梱包されたまま山積みされていました。

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洗濯ものがそのままの家があります。

畑のあちこちに船が横転したまま、津波で流されたのです。海に近づくにつれてその数が増えています。漁港もあれたままです。「街全体が原発被災時で停止したまま」なのです。

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4年前、浪江から平塚へ避難してきた御夫婦の話を思い出しました。「津波で車が4回転して杉の木で止まって、畳の上や屋根に乗りながら助かった」というAさんは、「浪江町というところは自然の豊かなところで、冷蔵庫に入れなくても冷えたビールが飲めるので東京から来た人はびっくりするんですよ」「いつになったら浪江に帰れるのかが一番心配だ」でした。

今回浪江町だけでしたが、避難地域は、2市6町3村約8万3900人(13年8月)に及んでいます。被災地のこの事実を話し続けようと思いました。

(2014年8月記)


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