私の郷里、松之山は「しんぶん赤旗」にもよく写真が載り、読者からも「一度行きたい」との声を頂いていました。
昨年も、そういう方を誘って行って来ましたが、今年はグッと人数も多くなり、急遽 車3台で乗り合わせて行ってきました。
現地では新潟市にいる長男夫婦、家を継いでいる次男夫婦、同郷の親友も加わり、旅館では総勢23人の団体となりました。
今年の松之山は、まだ残雪があり、新芽が出たばかりのブナ林は名前のとおり、まさに「美人林」でした。
隣町の棚田に行ったら、道の脇にはまだ多くの雪が残っていました。
ここがよく写真家が撮影する棚田です。
宿泊した旅館の上のほうには、「管領塚」があります。
これは、上杉房能公が松之山のこの地「天水越」で自刃したといわれ、H19年には自刀して500年目にあたるということで、松之山の能楽堂で「上杉房能公五百年祭」が行われたといいます。
私の実家の兄が、町の歴史案内役をしているため、大変便利で有意義な探索となりました。
向こうの山は、まだまだ真冬を思わせる雪景色。その下に見えるのが、私が通った三省小学校です。この写真からも、杉の木の「暗色」が目立ちますね。
わが兄ながら、実にわかりやすい説明に感動しました。
昔はこの一帯は、第一にブナ、次にナラ、その次が杉だったといいます。ところが、ブナは建築資材にならない「役に立たない木」とされ、政府の「役に立たないブナなどは切って、杉を植えよ」との号令で、杉が一番多くなり、緑の森が黒い森に変えられていったのだそうです。ブナやナラの木は、根っこに降った雨を蓄え、干ばつにはその水が森や植物を守ってきた。だから、地すべりなども防ぐことができた。ところが杉林ばかり多くなり、最近は建築資材にも使わなくなり、切って売ることもなく放置されている。
そこで何が起こったか。
地すべり、山崩れ、地質は衰える・・。その上ブナの実やナラの木のドングリは、森の動物の餌として貴重なものだったのに、それが減ってしまい、森の動物たちが山を降りてきて里を荒らすようになった。こうした政府の無責任な政策によって、生態系が変えられてしまっている現状をまわりの景色を見ながら説明されると、非常によくわかりました。
そして、当時、ブナノ木が「役に立たない」ことを意味するために木偏に無をつけて「橅」を「ブナ」と読ませたといいます。
昔は「椈」でブナと読んだということからも、ブナがいかに山間の田んぼを守ったかが伺えます。国の政策が、漢字まで変えるとは驚きです。
ブナの美しい「美人林」で兄は、「今地域では、ブナやナラを復活させる動きを起こしている」と説明しました。
皆さんは「松山鏡」「鏡が池」の物語をご存知でしょうか。
亡き母を慕い、鏡のような水面の池に映る自分の顔を母と勘違いし、思わず母のもとにすがろうと池に飛び込んでしまうという物語です。
これは、この越後・松之山町の物語ですが、池自体は質素で観光地的な華やかさを見せません。
悲しい物語を偲ぶように、「水芭蕉」が横で静かに咲いていました。
さあ、楽しいひと時を過ごした後は、また、みんなで張り切って頑張らなくちゃ!