大晦日と元旦に行なった「平塚・年越し派遣村」に来たことで知り合ったUさん。住所がない生活が7年も続いていたといいます。
派遣村に訪れた人には、議員と党の仲間、そして畑野君枝さんも加わって一人一人の状況を聞き、「生活保護を受けて、アパートに住みたい。」「そして働きたい。」と希望する人には、お正月明けから、それぞれ仲間や議員が付き添って生活保護担当課に相談に行きました。
平塚市の生活保護担当課では、それぞれの方の状況や生活習慣などを勘案し、シェルターが空いていればまず、そちらに住んでもらうなどの対応をとってきましたが、Uさんの場合、なかなか進まない。他の人はシェルターに入ったり、アパートに入ったりしたのに・・。
野宿生活に年季も入っていますが、他の人よりずいぶん時間がかかりました。しかも、こうした方々は兄弟・親類の縁を切っている人が多く、アパートを借りるにも保証人の問題でも大変手間取ります。
不動産やさんも大家さんに掛け合ってくれ、市との調整もついて、ようやくアパートに住めることになりました。引越しといっても何もない。ただ身体一つが行けばO Kです。私も、不動産屋さんも、「アパートに着いたらまず風呂に入れたい!」・・・頭の中はこればかり。
不動産屋さんも事務員さんも、その人のために新品の下着を買い求め、まっさらなタオルやバスタオルもたっぷり。温かいジャンバー、ジーパン、セーター、石鹸、シャンプー、洗面器、鏡に髭剃り、その上、食器や布団・毛布まで用意してくれていたのです。
今までも、お客様に対し本当に良くして下さるが、ここまでしてくれたことはなかった。やはり、「年季」がモノを言ったのでしょう。アパートに着くなり、Uさんがまず「風呂」の火のつけ方を教わり、即 風呂を沸かしました。そして、風呂に入る前に、ごみ袋に穴を開け、そこから首を出してもらい、私がコテコテになっている髪をまず切ることにしました。床屋さんをするのは初めてではありませんが「下手でも今よりマシ」これが私に勇気を与えたのです。
風呂が沸くまでに、いただいた生活保護費の中から夕食のお弁当を買ってきておいたので、入浴後に外に出て冷える心配もありません。髪を切り終わり、かみそりを当て、早速風呂に入ってもらうことにして、私は帰宅。
今日夕方アパートに寄ってみたら、小ざっぱりと着替え、色が白くなったUさんが、ニコニコといい笑顔で出てきました。「市役所に書類を持っていってきました!」と、最高の笑顔に「良かった、良かった・・。」と胸をなでおろしたのです。しかし、Uさんの本当の自立した生活はこれからです。
元旦に派遣村でトン汁をよそっているところです。左から高山和義さん、はたの君枝さん、私。