松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

花岡事件の原告団長 耿諄(こう・じゅん)氏 死去

2012年9月4日

今日の赤旗に、「花岡事件」原告団長  耿諄氏死去  という小さな見出しが載っていました。8月27日に老衰のため中国で亡くなられたという耿諄(こう・じゅん)氏は97歳だったといいます。ご冥福をお祈りいたします。

「花岡事件」
これは、現在の秋田県大館市花岡の「鹿島組花岡出張所・花岡鉱山」での話です。
1942年日本政府は戦争による人手不足を補うため、「華人労働者内地移入に関する件」を閣議決定し、全国135ヶ所に約4万人の中国人を強制連行したのです。
日本軍による別名「ウサギ狩り戦法」で強制連行された中国人の死亡率は全国で17・5%、花岡では実に42%でした。1945年6月30日深夜、ここに連行された全員がいっせいに蜂起しましたが失敗に終わり、中国人は3日間で100人余も鹿島組の従業員や警官らに虐殺されました。
花岡鉱山に強制連行された986人のうち418人が虐待・衰弱などで死亡したといわれています。1995年、生存者 耿諄氏ら11名が鹿島建設(旧鹿島組)に対し裁判を起こし、2000年ようやく和解しました。

しかし、ようやく企業が責任を認め、謝罪して賠償金を払い、慰霊の記念碑を建てる動きなどが進む中で、日本政府はいまだ何の責任も明らかにしていません。

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私がこの人のことを知ったのは、平塚市の岡崎にお住まいの女性の方がきっかけでした。普通のおばあちゃん・・・そういう感じで伺ったその女性から聞いた話は、私にとってあまりにも衝撃的でした。人を狂わす戦争というものの恐ろしさ、それを見た小さな少女がこの年まで引きずってきた心の傷を思いました。そして、この「花岡事件」をもっと詳しく知りたいと、色々調べた時に、この耿諄氏の存在を知ったのです。

こうしていつかは証言する人がいなくなっていく。それを見たもの、聞いたものが、後世に伝えて行くことの大切さをヒシと感じます。先日、久しぶりにこの女性とお話したばかりでしたので、今日の記事に深いため息が出ました。

IMG_08941

(朝、電線にとまっていた鳥の群れ。これからどこに行くのでしょう。)

 

5年前にこの女性が語ってくれた内容をご紹介します。

私が小学校6年生の頃、学校の帰り道に塀の隙間から毎日目にしていたおそろしい光景があります。 

私の父は秋田県の同和鉱業で働いていました。一緒に働いていた人の中には、戦争で捕虜になった人だと聞いた中国人や韓国人がいました。銅を掘っていた会社で、父もその人たちも地中深く掘られた坑道で仕事をしていました。その人たちは寮と呼ばれるところに寝泊りをしていたようですが、どんな生活をしていたのかはわかりません。

私が目にしたのは、真夏の炎天下に(ちょうどこんな暑い日でした。)裸同然の姿で地べたに座らされ、マキのような棒で何度も何度も殴られているところでした。殴られて倒れてしまっているのにまだ続けて何度も殴っているのです。私は可愛そうでかわいそうで、それを見るといつも泣きながら家に帰っていました。75歳になったいまも、折に触れて思い出しおそろしくなってしまいます。

後で聞いたことですが、そこから逃げ出そうとして、会社の偉い人に探し出されつかまった人だったそうです。仕事の途中で死んだ人や、このように折檻を受けて死んでしまった人は、まるで動物の死骸を運ぶように、引きずったり背中に背負ったりして裏の小高い山の中に掘った大きな穴の中へ投げ入れられたということです。母と一緒にその場所まで登って行って手を合わせて拝んできたこともあります。

8月15日、日本が負けた日にその人たちは自由になりましたが、いままでひどい目にあわせていた人は、とっくにどっかへ雲隠れしてしまったと聞きました。私の家には、その人たちが何度も訪ねてきてくれ、父と母はいろいろな世話をしていました。その人たちから、水餃子や焼き餃子の作り方を教えてもらいました。何年かたって、その人たちはお国に帰っていきました。裏山の死骸は掘り起こされて、遺骨となってふるさとへ帰っていったということです。帰っていく人が欲しいというので、懐中電灯とトランクを持って帰ってもらいました。「また日本にきたら寄ってね」と送り出しましたが、今まで会うこともなかったし、これからも会うことはないでしょうね。父と母は「誰にでも親切にしておけば、きっとそれは返ってくる」というのが口癖で、それを守って私も今まで生きてきました。あの時仲良くできたことは良かったと思っています。

いま、北朝鮮の日本人拉致が問題になっていますが、あの光景は、拉致問題の数倍もひどいことをしていたと私は思っています。日本の国が、戦争中にやったあのようなひどいことに対してきちんと謝らないかぎり、あの拉致問題は解決しないと私は思っています。あんなこと、もういやですね。       (岡崎  75歳  T)


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