少々時期を逸してしまいましたが、8月7・8・9日に「核兵器のない平和で公正な世界を」をスローガンに開かれた原水爆禁止世界大会・・in長崎に参加してきたときの内容を感想も含め、お伝えしたいと思います。
自分の中で簡単にまとめることがはばかられ、じっくりと自分のものにしてからと思っているうちに遅くなってしまいました。
第1日目の7日は、いくつもの国の政府機関代表からのメッセージや、19ヶ国107名の海外代表の紹介があり、世界の核廃絶と平和の長い運動の重みを感じました。
しかし、被爆者の願いである核廃絶運動の先頭に立ち、世界平和に強い信念をもって訴え続けてこられた伊藤市長が、4月17日に卑劣な犯行によって命を絶たれたことは悔しくて残念でなりません。
実行委員長は開会の挨拶で、久間前防衛庁長官の「しょうがない発言」、伊藤一長前市長の暴力による死去を糾弾しました。
新しく市長になられた田上市長は、「いま、被爆の現状・実態が薄れつつある。そんな中で、被爆者が自らの身体の痛み、心の痛みを押して62年間訴え続けてきたのは、自分たちがいなくなったあと、子どもたちにまた同じ体験をさせてしまうのではないかという思いからだ。」と語り、運動の発展を願いました。
熊本の原爆症認定訴訟で勝利した原告団事務局長が挨拶に立ち、「政府は控訴せず判決に従うことを強く求める。熊本以外の訴訟でも控訴を取り下げること。」を訴え、「もう時間がない」と、被爆者の現状を語りました。こんな非人道的なことを、62年たった今も国として行なっている自民・公明政府に怒りがさらにこみ上げてきました。
夕方開かれた神奈川県からの参加者の集いには約330人が集まり、会場に入りきれないほどでした。
2日目の分科会では、「原子力発電・核燃料サイクル核兵器廃絶」のコースを選びました。分科会は「ハートセンター」が会場でした。すぐそばには、さだまさしさんが館長(ご本人曰く「一時期館長」)のブリックホールがあり、その前には昨年まで燃えた「夏長崎・さだまさしコンサート」の会場だった稲佐山がそびえるところです。
分科会開催まで少し時間があったので、会場のそばにある原爆病院で資料をいただこうと思って伺ったのですが、係長さんはわざわざ部屋に通して、担当職員2名を呼んで細かく説明してくださったのには感激しました。
その後の分科会では、それぞれ専門に勉強し研究している方々が意見を交わすので、すべてを理解することはできませんが、大変興味深く聞いてきました。話は、原子力基本法で定めている目的や方針から始まり、放射性廃棄物処理問題、中越沖地震が訴えている問題、新エネルギー開発など幅広く渡っていました。
その中で爽快な言葉がありました。「日本海側に原子炉を次々と建てていながら、『北朝鮮が怖い』といっている。日本は最初から北朝鮮を怖いなんて思っていない。別の意味があってそう言わざるを得なくなっているだけ。」という改憲派への揶揄。
そして、「危ないものの処理」で重要なことは、目に見えるところに置くことだ。地下に置いたり、見えないところに処理すれば安心だろうが安全ではない。見えるところに置いて何かあったらすぐ対処する、それが大切だ、ということでした。
そのあと、各地からの住民運動の報告がありました。中越沖地震で問題になった刈羽原発の正面玄関のすぐそばに住んでいるという女性は「東電の報告は信じない。30年前に地震の学習会をしてここは活断層がいくつもある場所だからと、原発建設反対運動をしたのにつくられた。そして今度の事件です。」と訴えました。
これに対し、講師は「日本のように地震が多い国で、こんなに原子炉を置いている国はない。『必要』からではなく『計画』に沿ってつくられているだけ。」といい、「活断層の上には作らないというのが原則となっているが、わからなかったで逃げ切られる」ともいいました。こんなずさんなやり方が許されてきたことに改めて怒りがわきました。
神奈川からも横須賀の原子力空母配備反対の運動が報告されました。今回中越沖地震の影響もあり、この分科会に参加した人は多く、150人が参加しました。
3日目の閉会総会。片岡七恵さんの「原爆を許すまじ」で始まった閉会式は、第1会場から第3会場まで満杯の7000人が参加しました。
各界からの挨拶では、韓国被爆者協会代表は「韓国に住んでいるのに、被爆者認定書の手続きは大使館ではやれず、日本で直接しなくてはいけないといわれた。しかし、日本まで来てお金も時間も使ったのに、その手続きは5分で終わった。これは差別であり法を変えるべきだと裁判を起こし、今はできるようになった。しっかり、裁判の結果を守ってほしい。」と語りました。
フランスの代表は、「伊藤一長前市長の死を悼む。若者は希望で瞳を輝かせている。その延長に核兵器が要らないことは明らかです!」と力を込めました。韓国の代表は、「平和は祈りや願いだけでは守れない。こわそうとする者と戦い続けてこそ守っていける」と。
日本青年団協議会の本田とおるさんは「海外の若者と理解しあい、今度は私たち自身が核廃絶を訴えていかなくてはならない。核を容認し、集団自決はなかった、慰安婦もなかったような発言は許せない。9条を守ろうという運動をさらに広げ世論を盛り上げていこう。」と、元気に呼びかけました。
日本を含め20名近い各国代表の決意が語られ、新日本婦人の会の高田会長が議長を務めた閉会総会もいよいよ、フィナーレを迎えます。
「いまこそ、『核兵器なくせ!』『非核・平和の日本を!』『憲法9条を守れ!』の声を広げ、国民的な行動を力強く発展させる時です。私たちは被爆地・ナガサキから呼びかけます。」と大会決議案が読み上げられ、大きな拍手で承認されました。
ノー・モアナガサキ!ノー・モアヒロシマ!ノー・モアヒバクシャ!
各国の若者たちが壇上に上がり横断幕や旗でアピールする中、きたがわてつさんが「日本国憲法前文」を歌って閉幕しました。