数日前、私のところにこんなメールが届きました。ご本人の了解のもと、掲載いたします。
憲法公布から66周年
加藤 桝治
11月3日は、憲法公布記念日なので「平塚9条の会」の平塚駅前の宣伝行動に参加しました。
憲法が公布されたのは、今から66年前の1946年11月3日です。施行されたのは、翌年の5月3日です。
私は、終戦時、山形で兵役に服していましたが、終戦で、母たちの疎開先の福島県二本松在の油井村に帰りました。戦争で死ぬことがお国の為だと考えていたので終戦はショックでした。何をしていいかわからなくなり、農家で農作業を手伝いながら、体力を回復させて、二本松町(現・市)の大栄興業という小さな機械工場に勤めました。東京のミシン会社の疎開工場でした。通勤途上にあった貸本屋から、毎日のように本を借りて読むうちに少しずつ落ち着いてきました。本屋に集まる青年たちと交流し、学習会に出るようになりました。この頃、弾圧に抗して闘った人々を書いた『風雪の碑』(森正蔵著)を読んで、戦争に反対してきた人の存在を知り、戦争の本質が少しずつわかりかけてきた時、11月3日を迎えたのです。
憲法が公布されるというので、職場の若い連中が集まって一杯やりました。農家の青年が何人かいて、新米を炊き、てんぷらや野菜の煮つけを持ち寄ってワイワイとさわぎました。戦争が終わって1年半足らずなので、ほとんどが兵隊服を着て、軍国主義調が抜けきらない頭で、「恋愛論」から「民主主義」「主権在民」「戦争放棄」に戸惑いながら話し合いました。「軍隊をもたないで国が守れるか」と言う疑問もでましたが、「戦争をしない」「戦争に行かなくていいんだ」は、みんなに明るい希望を与え、心から歓びが湧いてきました。今でもその時のことを忘れることはできません。
平塚駅前の宣伝は、マイクでの訴えと、「平塚九条の会」が作成したビラを配りました。そこには、自民党の憲法改正案はじめ、改憲をめざす政党の見解と、「憲法前文と第9条」が書かれたものでした。
憲法改悪の新しい動きに反対し、9条を守りましょう」と訴えると、次つぎとビラを受け取って行きました。「戦争は絶対に反対です。みなさんがんばって下さい」と声をかけていく人もいました。
年輩の男の人が、私に「いくつか」と聞くので、「86になります」というと、「私より二つ上です。戦争を知る私たちがこういう問題で頑張らなくてはいけない、戦争は絶対に繰り返してはならない。お互いに体に気をつけてがんばりましょう」と語っていました。「私も戦争体験者です。戦争は嫌です」と言う女性は握手を求めてきました。
宣伝行動に参加して、66年前の集まりを思い出しました。あの時願ったように、その後の日本に戦争はなかったという事実です。この平和をいつまでも守り続けなければならないとの思いを一層強くしました。
(2012.11月)