2月25日神奈川県民ホールには、「9条をきく会」を生で見たいという人が開場2時間も前から詰めかけ、大混乱となりました。
首都圏ではじめての「九条の会」の講演会として「『九条の会』をきく県民のつどい」は第1会場の県民ホールに2500人、第2会場として用意された大桟橋の方の会場も2200人、そこにも入れなかった人がまた県民ホールのロビーに集まり、中には寒さの中断念して帰った人もいたようです。
開会の挨拶にはフェリス女学院大学長の本間慎さんがたたれ、そのあと講演したのは、作家の大江健三郎さん。
「憲法9条を守れということは、8月15日にさかのぼれということなんです。憲法の前文、教育基本法の文体は、多くの死んでいった家族や友人の記憶とともに新しい日本を造りなおそうとした人たちのモラルに裏打ちされていたということを、わたしはしきりに言ってきました。」と語りました。
また、夏目漱石の「西洋の開化は内発的であって、日本の現在の開化は外発的である」という話しから広がって「化」というのは化けると読む。次々変わっていくということだ。草冠に化けると書いて「花」という。まさに花はつぼみから開き、種になり飛んでいってと次々変化するものなんだ。と大江さんらしい話も印象的でした。
小田実さんは「サラダ社会」を作ろうと話されました。
1958年、アメリカに行った時、アメリカは差別がひどかった。黒人と白人の結婚は許されなかったといいます。
自由と民主主義を触媒にしているが、基は白人中心の社会。
日本も「サラダ社会」を作っていく必要がある。レタスもキューリもトマトも卵もハムもそれぞれのおいしさを出すような社会。根本は平和主義。問題解決は非暴力、非武力だと。
日本の世界平和宣言・世界反戦宣言としての憲法を世界のみんなのためにわれわれが保持していく、これが今問われているんだと。
評論家の加藤周一さんは、「今私たちは分かれ道に立っている政治的旅人です。」といいました。9条を改めて戦争を可能にするのか、9条を守って平和原則で行くのかだと。
みんなで一緒に馬鹿な選択をしないようにしようといいたいと。
そして、最後に病を押しての小山内美江子さんの力強い閉会の挨拶。
戦後が還暦を迎えた。私が還暦のとき、イラクがクウェートに侵攻した。そのとき日本は130億ドルという大金を出した。しかし「日本は金だけ出して血も汗も流さない」と非難された。「顔の見えない日本人」といわれた。それが今のサマワにつながっている。
なぜ、血や汗を流さなくてはいけないんだと思った。仕事に区切りがついたので、「こんな顔でよかったら見てください」というノリで、出かけた。そのとき、難民キャンプで警備していた軍ポリスが「お前の国は本当に素晴らしい国だ。お前の国は戦争をしなくていいんだ。だから兵隊に給料を払わなくていいし、武器も買わなくてもいい。その分経済にお金を回したから、あんなに発展できたんだ。」と9条を大変評価してくれた。
日本人よりも遥かに憲法を素晴らしいと思っている人が居ることに驚いたといいます。
鎌倉在住の井上ひさしさんは、第1会場にいらっしゃったのに、(私は、丁度第1会場から出て行かれるところを見ていました。)わざわざ第2会場に行って「9条の会」のメンバーをパネルで見ている人たちのために特別参加で挨拶をしてくださったのです。
井上さんの優しさが伝わってきて、とても嬉しい気もちになりました。
帰りの貸し切りバスで、司会の吉田貞夫さんは「ここにも素晴らしいサラダの面々がいますね。」とそつのないギャグを飛ばしていました。
大好きな大江健三郎さんに会えて嬉しいひと時だったと同時に、9条をもっともっとみんなと語り、守っていかねばと思いました。