2日目は、朝8時半までにセンターに集合です。宿泊したのは登米市に借りてある民家。片道はゆうに1時間はかかるため、6時半過ぎに出発。
午前も午後も仮設住宅に住んでいる方々に物資を届ける仕事でした。被災者の方々は、避難所生活をしている間は食糧から日用品も支給されますが、一旦仮設住宅に移るととたんに支援が打ち切られ、自活を余儀なくされるのです。
仮設の家は与えられても、津波で何もかも失った方々が、収入が途絶えたりわずかな年金の方々にとって生活が苦しいのは手に取るように分かります。
それこそ国の責任で一刻も早く支援すべきであり、国会でも共産党議員団は訴え次々と改善の方向に向けています。しかし、待っていたらこの方々の生活が成り立たない部分は、まずは国が実施するまで、全国の支援で支えようと取り組んでいるのがこの救援ボランティアです。
センターの2階は物資の倉庫。そこから支援先に振り分けて物資をトラックに積んでいきます。
この日は、神奈川、沖縄、東京多摩から支援隊が来ていて、3つのトラックで市内各地の仮設住宅に向けて出発しました。
シートに、各地から送られた物資を広げます。マイクで「支援物資を持ってきました!」と呼びかけると次々と各家のドアが開き、集まってきました。
バスタオル、タオルケット、子供の夏服などはあっという間になくなります。
仮設住宅にはクーラーが完備されていますが、「とても使えない。だって4か月になっても義援金は35万円しか入ってこないもの。この先どうなるかと思うととても使えない。」と口々に語ってくれました。
「今まで居た家のローンがまだ残っているんですよ。困ったわ・・。」と「被災者が既存債務から解放されるよう願う署名」に次々と応じてくれました。
これからの被災地の復旧・復興は、あくまでも人間として復興出来ることが目的でなければなりません。それには被災者の生活再建の道をいち早く築くことが必要です。
地域の復興・再建は、地震や津波で流された中小零細企業、住宅の債務をまずゼロにして出発することが、被災者・被災地全体の復興につながるものだという署名。その大切な署名を1筆1筆いただいてきました。
午後からも各仮設住宅を回り、「共産党です!タオルや衣類など持ってきました!」と回ると、次々と集まり、色んな話をしてくれました。「ハッポースチロールのお皿じゃなく、食器で食べたいけど、なかなか買えないのよね。」と切実な声も。
(この日は、東京多摩市の市議2人とも一緒に活動しました)
「ここ(仮設)に来てから、こうして話を聞いてくれたり色んな支援をしてくれるのはいつも共産党だけですよ」と・・。「え?どこからも来ないですか?」と聞き返すと「どっこも!」と。
(沖縄からの支援者とも合流しました)
石巻市役所に行ってみたら、全国から職員が派遣されていて、どこからきている支援職員なのかがわかるようになっています。私達に対応して下さった職員は北海道の職員さんでした。福岡、長崎と色んな名札を付けた人達が働いていました。
市役所の駐車場にも多くの自治体のボランティアが車でやってきていますが、どこに移動してもボランティアが活動している姿が見えません。私達の活動もよそから見たら小さいものなんだろうと思います。まだまだ支援が届かないところで、必死で頑張っている被災者が居るのでは・・と思うと辛いです。