長い自民党政権下で何度となく見てきた「党首選び」。民主党のこのご両人もかつては自民党政権下で経験済み。「ああはなりたくない、ここは挙党体制で・・。」と「トロイカ体制」を呼びかけたがあっさり断られ、始まった党首選挙。
「ああはなりたくない」と思っていても、その場になると芽を出してくる「子どものときに見てきた親の姿」。自民党に替わって、国民の生活を立て直すことを約束して政権をとったはずの民主党も、国民そっちのけで罵り合いが始まりました。
小沢氏は、政治とカネの問題も、首相になっても堂々と受けてたち、明らかにするといいます。
しかし、「クリーンな政治を国民は求めており、これ以上政治とカネの問題を起こしてほしくない」と小沢氏の出馬を阻む声も党内にあるようです。そういう人を党の大御所として置きながら・・。
小沢氏が進めたいという「一括交付金」とは
小沢氏は、「使い道を決めた使い勝手の悪い交付金のやり方を変えて、一括交付金にすべきだ」といっています。「道路にしか使えない補助金」や「目的以外に使えない補助金」は使い勝手が悪いから、地方に任せろということです。
ところが、これが問題。
約8割は社会保障、文教関係(高齢者医療・国保・介護保険・子ども手当て・義務教育・高校無償化など)に使うべきものとされていて、公共事業などに使うものは後の2割です。この枠をなくされ、「自由に使えるようになるから、無駄な部分は削られる」といって削減されたら大変なことです。
しかし、菅氏がこのまま政権についていたら
衆議院比例区の80議席削減、消費税増税を唱えてきた菅氏は、小選挙区を中心とした選挙を進め、民主党議員だけで衆議院の3分の2をとり、何でも民主党案を可決させていこうという狙いがあります。
いまの衆議院選挙制度(小選挙区比例代表並立)を決めたのは細川内閣のとき。当時、野党であった自民党の河野洋平総裁との協議の中で小選挙区300、比例200と比例を切り詰められたのが始まり。その後、さらに比例を減らされて180にされました。
選挙は、国民の民意が正しく反映されなくてはならないもの。それが「選挙制度の最大の基準」であるはずです。小さな選挙区に分けてそこから1人選ぶことで、国民の民意を通りにくくし、一部の政党の思い通りに進めようというのが比例の議席削減の動向です。
菅氏は「市川房江さん」の名声を何かにつけて出していますが、「あなたがやろうとしていることは、間違ってますよ」と市川さんの厳しい声が聞こえてきそうです。
6月9日しんぶん赤旗の「潮流」から
「市川房枝さん」と「市民運動」。新聞やテレビが新しい首相の菅直人氏を紹介するとき、かならず登場する名前と言葉です
▼シカゴの貧民を支援する活動家だったオバマ米大統領に続き、日米とも「市民運動」出身の指導者現れる、というわけでしょうか。菅氏は1974年参院選で、故市川房枝さんの選挙事務長を務めました
▼女性の政治参加や清い政治をめざし、市民運動をおこした市川さんです。政界へ出た菅氏は、選挙でよく語りました。「市川房枝さんの精神を引き継いで…」。当の市川さんは、戸惑いを隠していません
▼たとえば、菅氏に「自力で闘いなさい」といったのに「私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たち…にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた」(77年「私の国会報告」)と
▼市川さんの記録を、もう一つ紹介します。「いまだに沖縄をはじめ全国にアメリカの軍事基地があり…外交にまで介入されることを許したまま今日になっております」「わたしたちは、自分たちの運命を自分たちで支配する権利のあることを思いつめたい」
▼1970年6月、市川さんや平塚らいてうさんなど9人の女性が発表した、安保条約の廃棄を訴える声明です。沖縄の米軍普天間基地のかわりに新基地を辺野古につくる、日米合意の実行を、米政権に約束した菅首相。「市民」や「市川さんの精神」から、ずいぶん遠く離れてしまったようです。
民主党政権は始まったばかり。醜い政権争いをしている場合ではなく、菅氏は市川さんの意志を改めて思い起こし、国民の思いに立ち返ることから始めるべきではないでしょうか。