20日(土)は、平塚市教育会館で学童保育市連協の総会が行なわれ、議員団3人がで出席してきました。
落合市長も参加され挨拶をされたことは、学童保育関係者にとって何より力強く感じたのではないかと思います。私達議員にとっても嬉しいことでした。
長年学童の市連協会長をされている山田郁子会長は、「学童保育の質は指導員の質である」と自らを戒め、子どもたちの健やかな成長に対する責任の強さを表明されました。
こうした方々のたゆまない努力が報われる環境整備が叫ばれながら、なかなか進まない状況の下、これから進められる「子ども・子育て支援法」がどう動いていくのか、その中で行政は何が出来るのか、重いものを感じながら聞きました。
平塚市では1972年(昭和47年)に「親の働く権利と、その子どもたちの放課後生活を保障してほしい」という運動がおこり、「学童保育をつくる会」を立ち上げたといいます。市議会に働きかけ、2年後に市の補助事業として予算化され、1975年に第1号「崇善学童保育」が出来たということが、総会の資料にありました。
それから38年間の歴史の中で、平塚市では現在36学童となりました。そして、これまでの借家運営から、市の施設を使う「公設運営」へと取り組みが進んできています。これは、地域の理解のもとで借家を探すのも大変になっている中、本当にありがたい前進です。しかし、まだ学童の放課後生活全般を見ている指導員の身分や待遇の問題は、全国的ななかでも改善されていません。指導員の処遇改善は、学童を取り巻く諸問題が多様化、多発化、複雑化している中、益々重要になっています。
今「学童保育」も、親の負担を軽くするために保護者会がない、送り迎えもいらない、出来るだけ保護者が関わらなくて済む・・・こうした「学童保育」が好まれる傾向があるようです。
私は2人の子どもを藤沢市で育てました。小学入学と同時に学童保育にお世話になり、様々な行事を一緒に手伝い、子どもがどんな生活をしているか見る機会となる「夏休みの臨時お手伝い」もやり、夜の会議にも参加して、今の子供たちの傾向やいじめ(意地悪されて泣いた・・などの報告)などを聞き、指導員の体力と気力に驚き、子どもの勉強を見るだけでなく、工作や歌や遊びの達人でもあることを実感しました。だから今でも指導員には絶大な尊敬の念を持っています。
当時、その学童クラブの保護者会で指導員の待遇問題を議論したとき、ある男性保護者が「俺たちが働いていると、職場から半分、自己負担半分で健康保険に入っているよね。俺たちはこの学童保育の経営者なんだ。そして、指導員を雇っている。指導員の国保を健保にはできなくても、払っている国保の半分を学童クラブで負担してもいいんじゃないか。」と提案があり、会計がすぐ計算したら、「この額だったら、みんなに理解してもらえたら出来るね」ということになり、指導員から喜ばれたことを思い出します。
しかし今、学童クラブの運営はどこも厳しい状況です。そうした動きを各学童クラブに任せるのではなく、高度な質とすごい仕事量をこなしている「学童保育指導員」の身分の確立が必要だと強く感じます。