(写真は文とは関係ありません。私の父が満州に召集されるときに記念(!)にと撮ったものと思われます。=向かって左が父です=)
7月に入って間もなく、加藤桝治さんから投稿していただきましたが、選挙の関係でアップするのがすっかり遅くなってしまいました。選挙も終わり、自民党が圧勝した今回の参院選の結果をみると、益々「憲法改定」の危険性を多くの方々に知っていただきたいと思います。
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この歌を、二度と歌う事のないように
加藤 桝治
「平塚9条の会」の総会に出席しました。憲法問題で、弁護士さんを呼んで学習し、自民党の憲法改正草案をめぐりみんなで話し合いました。
自民党の憲法を「改定」しようとする一番のねらいは、9条を改定して「国防軍」をつくり、「日本を海外で戦争ができる国に変えようとしていること」がわかりました。
また、憲法は本来、国民の人権を国家の権力から守るために、国をしばるものであるのに、自民党の草案では国家の利益のために国民をしばるものにしようとしている。国民の権利をおさえ、戦争に協力させられた明治憲法への逆戻りだということもあきらかにされました。
総会は、憲法9条、96条改定反対の宣伝活動と、会員の拡大に取り組むことなどの提案があってこれを決めました。この提案をめぐって、「駅前で宣伝しても無関心の人が多い、これでは憲法は変えられてしまうのでないか」とか「戦争は絶対に繰り返してはならない、訴えれば必ず理解してくれる」など、何人かが発言しました。
81歳になる女性の方の発言が心にのこりました。
「私は、昭和7年生まれ終戦の年13歳でした。横須賀生まれだったので、毎日水兵さんがラッパを鳴らして市内を行進していくのを見て育ちました。戦争が激しくなると子供も戦争に協力すると言われて終戦の年は、女学校1年生だったので、鉢巻をしてモンペをはいて工場に動員され仕事をしていました。毎日のように空襲警報が鳴りました。急いで防空壕に入りましたが、横須賀は、空襲されませんでした。横浜の方が真っ赤に燃えるのを何回も見ました。
教育って恐ろしいですね、「修身」という科目があって、子どもの時から戦争することを教育され、天皇陛下への忠節、死ぬことを何とも思わないように教えられました。
戦時中、童謡歌手の川田正子さんが、ラジオで毎日歌っていた歌なんですが、(と歌ってくれました)
〽勝ち抜く僕ら少国民
天皇陛下の御ために
死ねと教えた父母(ちちはは)の
赤い血潮をうけついで
心に決死の白だすき
かけて進んで突撃だ
毎日聞いたものですから覚えてしまっていまだに忘れないのです。
戦争は、勝っても負けても死んでしまう、馬鹿らしいことです。絶対に戦争をしてはならない。孫たちにあのような歌をうたわせてはならないと思うのです。今、私たちが平和を守ってやらなくては、せっかく育ってきた孫たちが可哀そうです」。
その通りだと思いました。戦争体験を持つ高齢者が自分の体験を知らせることは、9条を守る運動の一つではないでしょうか。
(文責 加藤・2013年7月号)