平塚の歌姫、臼木とし子さんが11日にご逝去されました。95歳でした。若い時に江南高校で音楽を教えてこられ、多くの生徒が臼木先生の影響を受け、音楽の道に進まれました。イタリア歌曲に魅せられて、40歳の頃、財産を投げうってイタリアに。当時は女性が外国に行くことは珍しく、なかなか許可が下りず、手続きに大変苦労されたと語られたことがありました。
帰国後も、平塚で教え子の方々のバックアップによってリサイタルを開いたりと、音楽活動をされていました。
「当時パヴァロッティと直に話したのは、日本広しといえど私くらいでしょう。」がご自慢でした。彼女の人生は、イタリア歌曲と共産党だったといっても過言ではありません。世の中の不条理に怒りながらも、私たちの後援会の新年会などには妹さんのピアノでよくイタリア歌曲をご披露してくださいました。
昨日は、臼木さんの最後のお別れをしました。教え子の岡村共栄氏、田中幸雄氏、吉田貞夫氏も参加され、吉田さんの発声に誘われ、みんなで「カロ・ミオ・ベン」と「サンタルチア」をイタリア語で歌ってお別れしました。
写真はお元気なころのホームでの1コマ。